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ばいこう堂の和三盆(和三宝)の歴史

和三盆の始まり

日本での砂糖作りは、江戸時代の八代将軍徳川吉宗が糖業を奨励したことにより全国に広まりました。
宝暦年間に高松五代藩主松平頼恭(よりたか)公の命により、医者”池田玄丈”が砂糖作りの研究を始め、
弟子の医者”向山周慶”が後を継ぎ、砂糖キビの栽培及び製糖法の研究を進めておりました。
しかし、なかなか成果が上がらず苦労していました。

ある日、四国遍路の途中病にかかり行き倒れになっている人を見つけ家に連れて帰り、”向山周慶”が治療をして助けました。
この人は薩摩の奄美大島の人で、”関良介”と云い、砂糖作りをしたことがあるというので、
”向山周慶”は是非砂糖作りを手伝って欲しいと頼みました。

そして、助けられた恩に報いるために、”関良介”は命の恩人の頼みを聞き入れ、藩外へ持ち出し禁止のサトウキビを讃岐地方で育て、
まず黒糖を作ることに成功しました。その後、いろいろ研究を重ねてついに酒絞りの方法を応用した「押舟切櫂法」を発明して分蜜が
簡単に出来るようになり、寛政2年(1790年)讃岐の地で初めて白砂糖作りに成功しました。

この白砂糖がさぬき和三盆の始まりです。

向山周慶(1746〜1819)

江戸時代中期-後期の医師
延享3年9月16日生まれ。製糖法を研究していた医師の池田玄丈にまなぶ。文政2年9月26日死去。

和三盆の名前の由来

和三盆の名前の由来については種々の説がありますが、その一つとして、研糟 (盆)の上で三度研ぐためと云われています。
また、香川県では古くから「砂糖」「塩」「綿」の三つの特産物は「讃岐三白」と呼ばれています。

和三盆の読み方、なぜ和三宝と呼ぶか、宮内庁にも治められた和三宝など、和三宝にまつわるお話をご紹介いたします。

さぬき和三盆と砂糖の歴史年表

年号 紀元 事項
天平勝宝 6 754 鑑真渡日にあたり船載貨物中に砂糖の記録がされている。
永観 2 984 日本現存最古の医学書『医心方』に「甘蔗、砂糖、石密」の語が記される。
鎌倉時代   1182〜1333 上流階級に喫茶が流行し、宋より砂糖が輸入され嗜好品となる。
桃山時代   1573〜1623 ポルトガルからの輸入糖が貴族社会で珍重される。
慶長 15 1610 奄美大島の直川智(すなおかわち)が漂着した福建省より種甘蔗を持ち帰り製糖法を伝える。
元和 0 1615 沖縄に製糖法が伝わる。
正徳 3 1713 薩摩藩が琉球産の黒砂糖を初めて大阪に輸送する。
幕府は、唐蘭両国からの砂糖輸入量を250万斤から430万斤に増加する。
享保 10 1725 砂糖輸入防止の為、八代将軍・徳川吉宗が琉球の甘蔗苗を取り寄せ、吹上御苑※1にて試作する。
※1皇居内 吹上地区にある御苑
11 1726 徳川吉宗が甘蔗栽培法を諸国に求め、長崎から日本語訳の唐書・蔗作製糖法を得る。
延享 3 1746 讃岐国大内郡湊村に向山周慶が生まれる。
九月、高松藩が石清尾山の南麓に薬草園を設けて、池田玄丈に甘蔗の試作をさせる。
宝暦 2 1752 五代目高松藩主・松平頼恭の知遇を受け、平賀源内が薬草園係頭取となる。
11 1761 幕府は、多年甘蔗栽培に努力している江戸の池上太郎左衛門幸豊に官園※2産の蔗苗千株を与え、17、8年かけ製糖法を完成させた田村元雄から製糖法を学ばせる。
11 1761 ※2農業に関する試験・普及機関
明和 5 1768 池上太郎左衛門幸豊が江戸及び関東諸国を廻村指導し、製糖術を広める。
安永 8 1779 池田玄丈が弟子の向山周慶に製糖法完成を遺言し、12月病死に至る。
天明 8 1788 向山周慶が京都大火で罹災した薩摩の医師某を救い、製糖術の伝授を受ける。
この頃向山周慶が薩摩の行路病人関良助を自宅で治療し、製糖術の伝授を受ける。
後、関良助が薩摩に帰って蔗苗を持来って周慶に贈り、以後周慶と生涯糖業発展に尽くす。
寛政 2 1790 向山周慶が初めて砂糖450斤の製造に成功する。
4 1792 阿波国板野郡引野村の丸山徳弥が延岡藩領(宮崎)に渡航して製糖術を習得する。
6 1794 讃岐産の黒砂糖が初めて大阪に回漕される。
10 1798 讃岐産の白糖が初めて大阪に回漕される。
享和 3 1803 向山周慶が氷糖・紫糖・霧糖(白糖)の製法を完成する。
八代目藩主・松平頼儀に献上し、製糖奨励の必要を献策する。
文化 0 1804 讃岐の東部、特に大内郡湊村で砂糖の生産が盛んになる。
3 1806 大内郡馬宿村の久米栄左衛門が、木製の冷し桶を素焼きの瓶に換え結晶の効率化をはかる。
4 1807 向山周慶が、糖汁の煮煎釜を二個にし、澄し桶の使用を創め、冷し瓶の使用を改良する。
後に畚(ふご)製砂糖を創める。
5 1808 大内郡南野村の新兵衛が押舟切櫂(せっかい)法を創め、三盆糖の製法が完成する。
文政 2 1819 久米栄左衛門が、砂糖車を木製から石製に換え、作台の改良する。
押船分密法を創始し、搾汁作業の安全のため狐口を考案する。
9月26日、向山周慶没する。(73歳)
11月21日、関良助没する。
7 1824 大内郡南野村の松村藤十郎が汚渣押船を考案した。
又、周囲に桶を取り付けた荒釜を作り、沸騰によりアクが溢流される煮煎法を創める。
天保 5 1834 大阪町奉行が和製砂糖の大阪廻着高制限のため、問屋の一ヵ年の総取引受高を、天保三年までの平均高、346万4480斤に制限する。
6 1835 高松藩領内の砂糖車が4,362車となる。
明治 13 1880 2月28日、向山周慶が直川智と共に綿糖共進会において追賞される。